ネオンピンク

わたしのラブマイセルフのために利用されてください

第九話「この夜を明るく照らす姿を見せて」

 

 

お久しぶりです、と書くことさえはばかれるような、それほどに時間が経ってました。前回4月に更新したっきり…というスリリングホラー…。そしてまだ、わたしたちはマスクを外せない環境にいることにも怖さを覚えますね。もう随分と、顔を合わせていないな、誰とも。マスク越しの顔は、最早画面越し程の距離を感じてしまう。

 

はい、ブログの書き方忘れました。助けてください

 

 

 

う〜んそうだなぁ。

なんで書こうと思ったのか…って言われても別に書くことはなくて。

正直うまく、上手にオタクという活動も無期限休止並みにできていないエブリディなんですよね。ツイッタアも公式の通知が来ない限りあんまり開かなくなった。成長、というよりかは、退化というか。よくわからないけど、とりあえず内側に愛だけを燻らせている、みたいなことです。はい。

 

 

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でも、最近届いたじみんちゃんの額縁がとても美しくて儚くて崇高で、ぼーっとした時に見つめたりしてる。突然のキモい発言。さすが腐ってもキモオタ。でも、飾ることはなぜだかできなくて(尊さのキャパオバ)そっと壁に立てかけたままだけど。それでも、やっぱりじみんちゃんの存在はわたしの日常に必要不可欠でどれほど大切なものなのかをひしひしと教えてくれる。愛なんですよね、愛でしかないのに、愛ゆえに、時々それをひどく持て余してしまうときがある。でもそれはわたしではどうすることもできなくて、だから日々、いつもなら聴けなかったぼ〜だんくん達の曲を流して、心臓を動かすのだ。

 

 

ダイナマイト。

これもブログ書こうとした跡だけが、今も残ってますけども。というか、4月から色々と大事な日がありすぎて「第九話」という見出しのついた下書きが山の如しある。どれも書きかけ。飽き性、どうしたお前、、、

 

いや、そうダイナマイトですよ!

まじで本当に大好き、愛してる、わたしも君たちがいる星の中に連れて行って欲しいと叫ばずにいれなかった。

 

そしてビルボートホットチャート1位も、本当に本当におめでとう。

その栄光がどれほどすごいことなのか客観的に外側から見えるものしかわからないけれど、それを手にした君たちはどれほど幸せに満たされたんだろうと考えると、なぜか涙が止まらなかった。じわじわと溢れ出るそれは、まるで君たちへの愛のようで、零れるそれを拭うことももったいなくて、ただただ溢れ流してた。全部、君たちの努力の先の結果で、手のひらに降ってきたものではなくて、自分で手を伸ばして掴み取ったものなのに、いつでもまず一言目に「#우리아미상받았네 」と言ってくれることが、まず何よりも幸せなことだなぁとも思う。贅沢。世界一の君たちから贈られる世界一の言葉。

君たちの誇りになりたい。恥じない存在で居たい。遠い遠い、それこそ星と地上の距離くらい離れた場所にいるみたいに感じることも多くなってきて、追いかけることも無意味なんじゃないかって、たまに考えちゃったりする。でもそれでも、大きな大きな歓声と称賛を浴びる7人のファンで居続けたいんだよな〜〜〜〜〜〜。わたしが好きになったあの頃よりももっともっと大きく高くその名を羽ばたかせる羽の一つで居たい。微力どころか無力だけど、それでも。

 

 

一年前も同じことを言っていたような気がしますが…一人暮らしをしようと思っています。デジャブではありません、デジャブです。

 

実はあの頃の貯金は自粛生活のストレスにより昇天してしまったんですよね。葬式あげて、今はもうお空の上です。嘘です。クローゼットの中にハンガーに吊るされて息をしています。はぁ、飽き性よりも浪費癖を治した方がいいんじゃないの?まぁ、治るようなものならとっくに治してますけどね。そういうもんですよ、俺はそういう人間だ、ですよ。

ということなので、まぁまたイチから貯金、始めてみてます。遠い道のり、でも今度こそ”””ガチ”””なので。とりあえずじみんちゃんの誕生日が過ぎたら質素な暮らしを心がけようと思いました。出来るかどうかじゃねンだ、やるンだ!!!!!!!!(「ん」を「ン」にするのウシジマくん読んでからハマってるというTMI)

でも今日なんか知らないまま、古着に20000円使いました。ご利用は計画的にすぎるよお前。

 

友達にも、「一人暮らししてやる!」宣言を声高らかに、先輩としてのアドバイスを貰おうと話してる時にふと言われた言葉。そう、今日このブログでこの話をしたくて今までくだらない話してました!メンゴ!

 

 

『一人暮らししたら、オタクでなんていられないよ』

 

 

その友達はただ話の流れ的に軽く口にしただけみたいで、いつの間にか話は毎月の服代へと変わってたのに心だけはまだその言葉に耳を澄ませてた。

 

そっか、一人暮らししたらわたし、オタクじゃなくなっちゃうのか。

別に、今、充分にオタクしてんのかと言われたら、絶賛サボり中なわけですけど。でも、なんだかその言葉は確かな重みを持っていて、良く言う「鈍器で殴られた感覚」を味あわせてくれた。

 

確かに、今、自分のために生きることに精一杯で正直、オタクなんてしてる暇ない。ツイッター開くより、ゾゾタウンとかで欲しい服探したり、あつ森したり(あ、スイッチ買いました!やった〜〜〜〜)、セルフでネイルしたり、ベイスで雑貨小物買ったり、そういうことしている方が楽しく感じたりしちゃってる。けど、でも、それと「オタクをやめること」はまた違うことで。追わなくなったからと言って、愛は変わらないし、熱はまだ脳みそをぶくぶくと沸騰させてくれている。でも、人はそれを「オタクをやめる」と呼んだりするのかもしれない。わたしと誰かの定義が違うだけで、わたしはもしかしたら誰かの目で見た世界ではもう既に一般人なのかもしれない。

今、アイドルたちに何があったかなんて事細かに説明できないし、ただ通知が来た公式ツイートにいいねとリツイートをするbotと化しているけれど、わたしはそれでも、まだ自分のことをオタクであると言いたい、なと思った。

 

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自分のために生きていくことが時々悪いことのように、推しに対して言葉にできない罪悪感を抱くような感覚になる。でも、それって多分悪いことじゃない。むしろ、彼らが伝えたかったラブマイセルフってこういうことなんじゃないのかって思う。それはちょっと良いように取り過ぎているかもだけど。でも、大好きなメロンジュースを飲まない日が飲む日より多いように、大好きだからっていつも四六時中触れていないといけないわけじゃないんじゃないかな。こうやって言ってはいるけどわたしは本当にめんどくさいオタクだから(オタクですよ、まだ)まだ若干の負い目を感じたままではあるけど、でも、多少割り切れるようになった。

じみんちゃんはきっと、そんなことで責めたりしないし、わたしがまた変わらないままの愛を持ち出して抑えきれない信仰を捧げても受け入れてくれる。みんなの神様だから。だって、日々幸せに生きれることに理由があるとすれば、その一つは「じみんちゃんのファンでいられてること」だから。

 

 

本当は要領よくオタクしていたい。でも心の要領は狭いし、興味散漫しちゃうし、飽き性だし、映像系のコンテンツ消費できないから、他の人よりも下手くそに推すことしかできないけど、たとえ一人暮らしすることになっても、ずっと好きだよ。ってことなんですよね(?)いやほんとお前、オタクよりもブログの終わらせ方ド下手ぞ?

ウンウン、こんなんじゃあブログ書いてもな…って感じじゃん、、、、、

 

 

また書けたら良いなぁ。今週末、ナムさんのお誕生日にナムぺんさんと半年ぶりのオタ活するんでその時にでもまた、下手くそな愛を伝えられたら良いね

 

 

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とりあえずコロナ死ね!