ネオンピンク

わたしのラブマイセルフのために利用されてください

第一話「光はまた浮かび出すから」

 

 

 

お久しぶりです、あけましておめでとうございます。

気づいたらスカスカの1年が終わってて、2020は幻だったのか…?という感じですけども、こんにちは2021。わたしはまだ君を受け入れられていないけど、今度こそわたしを幸せにしてみせてね。

 

 

 

なんだか去年は何も出来なくて、ただ息をすることだけで精一杯だった。一昨年が100%推しごとできてた、とすると去年は20%出来てたら良い方…くらいだったような。そんな気がするというか、それだけが確かなことだった。転職したいと思ってたこともあって、自分のことだけに必死で推しのことまで考えていられなかったのが正直な事実です。

 

でも、転職も成功して!いろいろと心にゆとりが出てきた2021。久しぶりに10話くらい溜めてたたるばんを観ました。髪色でいつ撮影したやつかわかるからこその「え…これこんな前に撮ったやつなの?時の流れェ…」ってなった。オンの時のやつとかあったしね。

たるばん、というか彼らに関わるコンテンツをこんな中途半端な状態で消費することに罪悪感を覚えるタイプのオタクだったから、なかなか手がつけられていなかったけど、いざ観てみると愛が溢れてきて、愛に不安になった時にこそもっとはやく観るべきだったな、と他人事みたいにそう思った。久しぶりに見た彼らは、やっぱり素敵で楽しそうで大好きで。わたしあなた達がとても好き!ラブ!愛してる!ってなった。調子のいいやつなんです、許してください

 

 

 

何度も書いてるので割愛したいところですがまた書きます。これからも多分何度も同じ話します。声に出さないと、書き出さないと、愛を疑われているように不安になってしまうので。謝謝

 

 

ペン卒ということができない、といつかも書いたけどそれが故に新しい沼に軽率に浸かる悪癖がある。それは同じアイドルだったり、故郷でもある二次元だったり…。それは何も悪いことではないけど、ひとつの事に夢中になればなるほど、その他のことをおざなりにしてしまうということで。ただ、ただ、遠くの方に推しを思ってはごめんね、と軽い謝罪を唱える日々。久しぶりに浸かった二次沼は、それはそれは泥風呂のようで、とても居心地が良かった。だからこそ、こうやって、また前のようにアイドルをラブできるのか、すごく怖いのです。

 

変わってないと思ってた、わたしの愛は1ミリも変わることなく内側にあるものだと思ってた。思ってる、今も、きっとこれからも。

でも、もしかしたらそう思ってるだけで、変わっていたのだとしたら、わたしはどんな顔をして推しに愛を捧げたらいいんだろう。どうでもいいこと、でもわたしにとっては死活問題かのように重くのしかかる問題であるので、誰か答えを教えてください。本当のことがわたしにとって死刑宣告のようであっても、優しくなくても、答えが知りたいです。乗り越えてでも、やっぱりあなた達を愛してたいから。

 

 

 

 

ずっと不安定な海を漂ってるようだった。推しが月明かりで、道を教えてくれていたのに、わたしは眠るように目を瞑り、何も見えない振りをしていたのだと思う。けど、もう目はぱっちりとひらいてる。眩しくても、ちゃんとあなたを見てるから、だから、もう一度だけチャンスが欲しい。あなたをちゃんと愛してたあの時間を取り戻してみせるから

 

 

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(P.S.ウィンパケ買いますよろしくお願いします)

 

 

 

 

 

 

第十二話「今日すべては君と」

 

 

 

1度特別な意味を持ってしまったら、もう二度と何もない日には戻らないのだろうか。

 

先月の休み希望の提出日、記入しようと思って、そして結局、書き出さなかった。販売職の土曜日は休みづらいよな…なんて適当に言い訳を並べて見ないふりをしようとしたのに、この日が来る2、3日前からソワソワと、行き場のない愛と祝福が内側から溢れ出してた。大切な日だった、間違いなく、わたしにとってまだ、変わらない特別だった。お誕生日おめでとうございます、寒い冬の澄んだ空気はあなたの歌声によく馴染みますね。

 

今頃スンリくんはいろんな任務?をこなしているのかな。少しばかりぽちゃっとした最後の姿は、今はどんな風に変わっているのだろう。

9ヶ月ほど、経ったわけだけど、ふとした瞬間に思い出すように会いたくなります。こんなに会えなかったことはなくて、だからこそ、もう二度と会えないという漠然とした不安が、少しだけはっきりとわたしを怖がらせる。うん、もうよくわかってない。ただ、内側に根付いた愛の名残だけが、今もあなたの名前を反芻するの。

 

今日、空が青かったです。

あなたの事をよく知らない人に、あなたの話をするたびに、いつもマイナスな言葉が飾り付けられて、その度に痣だらけの心臓が痛みます。スンリくんは、誰かの言葉に傷ついたりしていませんか。必要以上に悲しい言葉をかけられていませんように。冬の澄んだ青い空はずっと、あなたに優しくありますように。

 

 

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きっと、来年の今日もあなたを思い出して切なくなって、また愛を呼び起こす。寂しい。思い出のスンリくんにしか会えないことが。でも、記憶の中のスンリくんはいつでもわたしを幸せにしてくれるから、だから、スンリくんの記憶の中のわたしたちも、少しでも幸せを与えられていたら、いいなと、思います。おめでとう、スンリくん、大好きです。

 

 

 

第十一話「今夜星の中にいる君へ」

 

 

誕生日は世界に愛されるその人を見れるから好きだ、と言ったけれど正直、何年も何回も繰り返すこの日だけはまだ、ぎこちなくて不慣れなままだ。誰にも愛されるあなたを見れて、そしてわたしの愛が合法的になる日。大好きです、愛してます、最早よくわからないほどにぐちゃぐちゃな想いなんだけど、それでも、ただ永遠にありがとうと言いたい。遠い距離の先で、いつまでもあなたに愛を捧げていたい。お誕生日おめでとうございます、じみんちゃん。

 

 

久しぶりにこうやって面と向かって愛を書き出そうとして、今までどうやって書いてたんだっけ…となるくらいに上手く言葉が出てきてくれなくて。だから、去年書いた、あの重すぎるブログを読み返してみたりした。

 

 

 

gomennemama.hatenablog.com

 

 

 

一年前…。

いや…お前どうした…となるくらいの乱文だったけどでも、言いたいことは痛いほどわかって、確かな愛だけがそこにあって。わたし、どれだけ時が経っても変わってないな…と思った。すごいことだよ、まったく。

 

 

うん。そりゃ毎年、誕生日には特大の愛を、毎日当たり前に好きだと何かしら言葉や文字であらわしてたら、言葉も出てこなくなるだろう。とか、思うけどそれでも愛だけはとまることなく溢れてしまっている。まだまだドンストップラブのままだから、だから、こうやって書くことをやめられない。

 

 

10/10、ON:Eのライビュを見に行きました。

 

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感想をね、書いていたんだけど結局最後のメントですべて吹き飛んでしまって、見に行ってない人と同じ脳になってしまったから上手くブログにまとめられなかったんだけど。終わったあと、素敵だったとか最高だったとかよりも前に、ただ悔しさだけが滲み出てきた。じみんちゃんをこんな目に合わせた諸々の原因を殺してやろうって、それだけだった。

 

ゴールド色のマイクを口元にあてて、じみんちゃんがおでこ、髪の生え際を何度も何度も震えた手で擦りだしたときに訳もなくただ、「あぁ泣いちゃう」って思った。これはわたしのお得意の愛だから分かったんだよ、というわけではなく、多分あの時のじみんちゃんを見たらきっと誰でも泣いてしまうなと感じたと思うけど。目はまだ、潤んでいなかった。でもどこか一点を見つめる姿は、必死に涙を耐えていたから。 

そして、その後言葉を発したと同時くらいにやっぱりじみんちゃんは泣いてしまって、画面越し、遠い違う場所にいるってわかってるし、触れることも出来ないくせに、無性に抱きしめてあげたくて、でも抱きしめてあげられないこと不甲斐なさだけを抱えて身動ぐことも出来ずただ、泣かないでって心で何度も繰り返してた。わたしの目からも繰り返し溢れ続ける涙はまるでじみんちゃんと同じ涙が違う出口から出てきたみたいで、少しでも早く泣き止んで欲しいと思った。でもそれは、止まらないじみんちゃんの涙を見て、違ったみたい、と思うのだけど。

 

いつものように、耐えるような涙ではなく、悔しさからこぼれ出てしまった涙はぐしゃっと可愛いそのお顔を歪ませて、言葉を奪って、そして頬を濡らしていく。話そうとして、震える嗚咽に邪魔される、その初めて見る姿に目を逸らしてしまおうかとも思った。これ以上見ていられない、という気持ちと、多分これは本当だったらジミンちゃんがわたし達に見せたくない姿なんだろうな…と思ったから。でも結局わたしはじみんちゃんの全てを知りたいと願ってしまうから、少しだって画面から目を逸らせずに、震える声でそれでも伝えようとしてくれる言葉を必死に拾ってた。

 

いつか、わたしはブログで書いたと思うんだけど、じみんちゃんはいつも誰かの涙を拭いにいくのに、どうして誰もじみんちゃんに寄り添ってくれないんだろうと思ってた。でもきっと、じみんちゃんがそれを望んでいないのだろうな、とあの日はっきりと気づいてしまったように思う。勝手な憶測だけど。涙や弱さを、ファンだけではなくメンバーにだって見せたくないんだろうな、そしてそれを彼らはちゃんとわかっているんだな、と思った。泣き止んだ頃に笑い話にしてくれることはきっとじみんちゃんの心を軽くしてくれているんだろうな。そうだったら良いな。

 

そう、わたしはいつも大切な人が泣いている姿を見ると「泣かないで」と声をかけてしまう。涙の理由にもよるけど、人の泣いている姿が苦手で早く泣き止んで欲しいと思うから。でも、あの日他のメンバーやファンの子達がじみんちゃんに「泣かないで」と声を届けていた時、わたしも例に漏れず心で死ぬほど「泣かないで」と叫んでいた時に、ナムさんだけが「泣いて良いよ」と声をかけていたらしい。その時は、いっぱいいっぱいで気づけなくて終わった後、ツイッターで見かけたんだけど、その言葉に止まったはずの涙がもう一度せり上がってくる感覚に襲われた。

正直、じみんちゃんのメントの内容は1割程度しかわかってなかったし、その1割でじみんちゃんが悔しくて悲しくて泣いているんだな、と思って、だからこそ泣き止んで欲しいと思ったけど、それってよく考えたら悔しくても悲しくても我慢しろ、と伝えるのと同じなんだなって気づいた。ただわたしが泣いているところを見るのが辛いから、っていう理由だけで堰が切れたように溢れる感情をふさぎ止めようとしてしまっていたんだなって。それってすごく、すごくひどいことだなぁと思う。感情がすぐ表に出るわたしでも我慢を強いられたらじゃあどうしたら良いのってなるのに、いつも辛いところを見せないように振る舞うじみんちゃんはどうなってしまうんだろう。そう考えて怖くなって、届かずに落ちた言葉に後悔が溢れる。そこで初めてわたしの押し付けがましい愛が、じみんちゃんに届くことがなくてよかったと思った。そして、今、あの時に「泣いて良いよ」と受け止めてあげる言葉をかけられるナムさんが、素敵だと思った…言葉の魔術師…

 

 

なんでだろう。

なんでわたしの愛って押し付けがましくなってしまうんだろう。いつも笑っていて欲しくて、悲しいことには一つも触れないで欲しくて、幸せでいて欲しい、ただ、ただそれだけなんだけど。実際与えてあげられないからこそ、強くいっぱい願ってしまう。前も書いたような「呪い」みたいに。絶対叶ってほしいから。わたしがじみんちゃんにできることは、「願う」ことくらいしかない。でも、その小さくて微かな願いが時にその相手を傷つけたりしてしまうことだってあるよね。でも難しいじゃんそれって。だって本当にただ、幸せでいて欲しいんだもん。うぅん、難しい。愛はやっぱり複雑だ。一方的だけど

 

わたしもいつか、もう一度、じみんちゃんが悔しさで涙を流す時には、「泣かないで」という言葉よりも先に「泣いて良いよ」と言えるような、その涙でさえも受け止めて、愛せるような、そんな風になりたいな、なれたらいいな。その後に、笑ってくれたら、全部よかったって思えそうだし。うん。強くなれよ、わたし。永遠に愛していくって決めたんだろ?

 

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ON:E…(ここでON:Eの話に突然戻る)(時を戻そう)

なんども何度も見返したくなるような、でもたった一度見た記憶の中の公演を思い出すだけで満たされてしまいそうな、そんな素敵な世界だった。(記憶は一回リセットされたけど…)

「コロナのせいで」消えてしまったステージ達の分まで、合わさったような壮大な舞台を作り上げてくれてありがとう。悔しさは消えない、ずっとずっと失われた時間は戻ってこないから。でもそれでも、いいやと思えてしまうものだったよ。たった1日、2時間半の時間。会いに来てくれて本当にありがとう。

 

 

ちょっともう…自分キャパオーバーっす…愛しさで前が見れない…文字が打てない…

伝えたい言葉とか思いとかいっぱいあるのに、いざ口に出そうとすると「愛してます」しか出てこないのなんなん?愛してるよじみんちゃん…

 

 

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出会ってから5回目の誕生日。

わたしの気持ちは本当に最初から何も変わることなく、むしろ愛だけが日々とめどなく積もっていってる。

じみんちゃんを好きでいる自分のことが誇りで、そんな自分だけはやっぱり愛おしく思えるんだ。ここ最近毎日しんどくて元気ないけど、それでもまたじみんちゃんに会える日を楽しみに頑張ってる。

じみんちゃん、会いたいね。

わたしも、会えなくなった日々に悔しさを感じていたんだって、あの涙を見て気づいた。しょうがないって、「待っててください」って言ってくれるじみんちゃんの言葉を信じて、先の見えない毎日を繰り返してたけど、でもどこかで受け入れられてなかった。じみんちゃんが感じていた苦しさとわたしの感じている苦しさは、またどこか少し違うもので、それを理解したとかなんとか言うつもりも無いし、それはとてもおこがましくも思うけれど、それでも同じように寂しいと思ってくれていたことが何よりも嬉しかったの。

 

結局、泣いてるよ、また…後数時間後に天使が生まれた奇跡の日を迎えるっているのに、センチメンタルしちゃってる…

 

じみんちゃん!

もうよくわかんなくなってしまったから、簡潔にまとめるね。そろそろうざいと思うから…!

 

 

 

お誕生日おめでとうございます!

今年もわたしのアイドルで、天使で、世界で、いてくれてありがとう。

優しくて愛情たっぷりなあなたの内側を、愛がたっぷりと満たしてくれますように。楽しそうに笑う笑顔が大好きです。いつもの可愛くてあざといじみんちゃんも好きだし、ステージに立つ凛々しくて美しいじみんちゃんも大好き。余すとこなく愛してます、あなたの全部を。

 

このまま、ずっとずっと、大好きでいさせてください。わたし、じみんちゃんに何も、与えてくれたものを何一つとして返すことさえできないけど、どれだけ明かりが弱くなって、真っ暗になっても高く高くアミボムを、じみんちゃんがいつも綺麗だって言ってくれる光を掲げ続けるって約束させてください。そんなことしか、できないけど、でも絶対に守り抜いてみせるから。そんなことでも、それがほんの少しでもじみんちゃんの幸せへ繋がれば、いいなぁ、なんて思っちゃうね

 

 

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今はきっとわたし達、絶望的な試練の中にいるけど、その先の希望のために、また会える日まで、無理せず健康で元気でいてね

じみんちゃんの暗い夜が、たくさんの星や光で照らされていることを、誰よりも願っています

 

出会えてよかったって、毎日思ってるけど、今日以上に嬉しく思える日はきっとないや

 

 

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笑ってるお顔が一番好き、幸せにしてくれるから

 

 

무슨 일이 있더라도 영원히 사랑하고 있어요~

 

 

 

 

 

 

 

 

第十話「良いことはいつも最後に訪れる」

 

 

 

日付が変わってしまう。 

 

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おめでとうございます、ナムさん。お誕生日おめでとうございました。

 

 

またも特に書くことないくせに、良い日だからって何か書きにきてしまった。ノープランです、でも、おしゃべりしたい気分だったので。ムーンチャイルドを聴きながら、文字を打っています。

 

誰かの誕生日が来る度に、世界に祝福されているその日の主人公を見て、わたしまで満たされてしまう。そんな、日が好きだ。今の今まで、というか出会うまで?なんにもなかった日が、誰かと出会った瞬間に特別な日になることが、嬉しいと思えるなんてわたしも大人になったのかな、と思っちゃうね。

 

前に誕生日について書いたしゅがのように、特別ウザい愛を向けているわけではないけれど、ナムさんはわたしにとって、「月明かり」のようであったり、「木漏れ日」のようでもある不思議な人だ。月そのものでも、太陽そのものでもなく、そこからこぼれ落ちる優しい光のような人だと、思う、思います。なんて、にわかが語ってますけども。

どこか拭えない不安や葛藤を、取り除くわけではなく、寄り添ってくれるような、わたしが解決するまでなくなるまで、傍にいてくれるような。言葉にするのは少しばかり難しいけど、そんな気持ちにさせてくれる。ナムさんが、というか、ナムさんの書く曲。リフレクションも、サランも、ペルソナも。そして「mono」も。いつも聴くわけでは、正直ないんだけど、疲れた時とかに聴くとリラックスできるから、退勤のバスの中とか、聴いたりしてます。いつもお世話になってます。

 

 

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みんなを見る度、「僕達を利用してください」、と言ったあなたの言葉が忘れられません。今も、そしてこれからもずっと、あなた達を好きでいる限り、ずっとずっと。疲れた時に曲を聴くことも、不安な時に頼りにしてしまうことも、愛を捧げることもすべて「利用している」ということになるんだということを、まっすぐに教えてくれてありがとうございます。ただ消費されるだけの存在でも、良いという意味にすらとれて、何かを手放しにしたように寂しさを感じたりもするけど、その手をぎゅっと握ってこのまま永遠に愛していきたいな、と思いました。絶対に、過去にせず、あなたたちの銀河まで歩いていきたい。わたしの中の、わたしでさえ知らない銀河を教えてくれたように、わたしもたくさんの星の中から7人の銀河を探し当てるから、絶対。

 

 

綺麗事はあんまり好きじゃないので、「利用」なんてしてない!なんて言わないし、勝手にもあなたたちの見せてくれない、見たことのない内側までも愛していきたいと思っているから、これからもまた今までしてきたように「利用」していくんだと思う。あなたたちのファンだと胸を張って言うために、擦り切れるまで消費していくんだと思う。でも約束します、愛さなくなることがこの先ないことを。消費して利用したまま、さよならしたくないから。だから、どうか、やっぱり最後に縋ってしまうけど、いつまでもわたしのアイドルでいて下さい。それだけ、と言えないくらいの規模の話だけど、どうか。私たちになってくれたなら、もう、「わたし」と「あなた」にしないでください。ちょっとキモイか…。ごめんなんですけど、でも本心です。届かなくてもいいから、聞いてほしいです。

 

 

はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜

何が書きたかったかわからんくなったけど、ナムさんの言葉で救われたことがたくさんあるってことでした、日本語不自由で申し訳ないレベル。ナムさんに弟子入りしよ。

 

 

明日は、ナムペンさんと半年ぶりのオタ活!タノシミ!久しぶりにオタク出来るのわくわくすっぞ!

ブレサイを観に行くんだけど無事に帰れる気がしない。映画館に骨埋める覚悟。ハンカチ2枚持っていこう。

バンステもブリソウ(だっけ?違う?)も推しの怪我や落ち込む姿を知ってしまって精神的にダメージを受けたりもしたけど、でもそれ以上に愛を感じさせてくれるから、早く観たい。また、愛を感じたいな。はい、終わり。書かなくてもいいことでした。でも、とりあえずスッキリしたよ。

 

 

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ミュージックデイのDYNAMITE、神でしたね。

右から2番目のオールバックサングラス、デニムオンデニムな天使が可愛かったです、え、ジミン…って言うんですか?可愛いですね名前までもちょっと詳しくお話聞いてもいいですか?

第九話「この夜を明るく照らす姿を見せて」

 

 

お久しぶりです、と書くことさえはばかれるような、それほどに時間が経ってました。前回4月に更新したっきり…というスリリングホラー…。そしてまだ、わたしたちはマスクを外せない環境にいることにも怖さを覚えますね。もう随分と、顔を合わせていないな、誰とも。マスク越しの顔は、最早画面越し程の距離を感じてしまう。

 

はい、ブログの書き方忘れました。助けてください

 

 

 

う〜んそうだなぁ。

なんで書こうと思ったのか…って言われても別に書くことはなくて。

正直うまく、上手にオタクという活動も無期限休止並みにできていないエブリディなんですよね。ツイッタアも公式の通知が来ない限りあんまり開かなくなった。成長、というよりかは、退化というか。よくわからないけど、とりあえず内側に愛だけを燻らせている、みたいなことです。はい。

 

 

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でも、最近届いたじみんちゃんの額縁がとても美しくて儚くて崇高で、ぼーっとした時に見つめたりしてる。突然のキモい発言。さすが腐ってもキモオタ。でも、飾ることはなぜだかできなくて(尊さのキャパオバ)そっと壁に立てかけたままだけど。それでも、やっぱりじみんちゃんの存在はわたしの日常に必要不可欠でどれほど大切なものなのかをひしひしと教えてくれる。愛なんですよね、愛でしかないのに、愛ゆえに、時々それをひどく持て余してしまうときがある。でもそれはわたしではどうすることもできなくて、だから日々、いつもなら聴けなかったぼ〜だんくん達の曲を流して、心臓を動かすのだ。

 

 

ダイナマイト。

これもブログ書こうとした跡だけが、今も残ってますけども。というか、4月から色々と大事な日がありすぎて「第九話」という見出しのついた下書きが山の如しある。どれも書きかけ。飽き性、どうしたお前、、、

 

いや、そうダイナマイトですよ!

まじで本当に大好き、愛してる、わたしも君たちがいる星の中に連れて行って欲しいと叫ばずにいれなかった。

 

そしてビルボートホットチャート1位も、本当に本当におめでとう。

その栄光がどれほどすごいことなのか客観的に外側から見えるものしかわからないけれど、それを手にした君たちはどれほど幸せに満たされたんだろうと考えると、なぜか涙が止まらなかった。じわじわと溢れ出るそれは、まるで君たちへの愛のようで、零れるそれを拭うことももったいなくて、ただただ溢れ流してた。全部、君たちの努力の先の結果で、手のひらに降ってきたものではなくて、自分で手を伸ばして掴み取ったものなのに、いつでもまず一言目に「#우리아미상받았네 」と言ってくれることが、まず何よりも幸せなことだなぁとも思う。贅沢。世界一の君たちから贈られる世界一の言葉。

君たちの誇りになりたい。恥じない存在で居たい。遠い遠い、それこそ星と地上の距離くらい離れた場所にいるみたいに感じることも多くなってきて、追いかけることも無意味なんじゃないかって、たまに考えちゃったりする。でもそれでも、大きな大きな歓声と称賛を浴びる7人のファンで居続けたいんだよな〜〜〜〜〜〜。わたしが好きになったあの頃よりももっともっと大きく高くその名を羽ばたかせる羽の一つで居たい。微力どころか無力だけど、それでも。

 

 

一年前も同じことを言っていたような気がしますが…一人暮らしをしようと思っています。デジャブではありません、デジャブです。

 

実はあの頃の貯金は自粛生活のストレスにより昇天してしまったんですよね。葬式あげて、今はもうお空の上です。嘘です。クローゼットの中にハンガーに吊るされて息をしています。はぁ、飽き性よりも浪費癖を治した方がいいんじゃないの?まぁ、治るようなものならとっくに治してますけどね。そういうもんですよ、俺はそういう人間だ、ですよ。

ということなので、まぁまたイチから貯金、始めてみてます。遠い道のり、でも今度こそ”””ガチ”””なので。とりあえずじみんちゃんの誕生日が過ぎたら質素な暮らしを心がけようと思いました。出来るかどうかじゃねンだ、やるンだ!!!!!!!!(「ん」を「ン」にするのウシジマくん読んでからハマってるというTMI)

でも今日なんか知らないまま、古着に20000円使いました。ご利用は計画的にすぎるよお前。

 

友達にも、「一人暮らししてやる!」宣言を声高らかに、先輩としてのアドバイスを貰おうと話してる時にふと言われた言葉。そう、今日このブログでこの話をしたくて今までくだらない話してました!メンゴ!

 

 

『一人暮らししたら、オタクでなんていられないよ』

 

 

その友達はただ話の流れ的に軽く口にしただけみたいで、いつの間にか話は毎月の服代へと変わってたのに心だけはまだその言葉に耳を澄ませてた。

 

そっか、一人暮らししたらわたし、オタクじゃなくなっちゃうのか。

別に、今、充分にオタクしてんのかと言われたら、絶賛サボり中なわけですけど。でも、なんだかその言葉は確かな重みを持っていて、良く言う「鈍器で殴られた感覚」を味あわせてくれた。

 

確かに、今、自分のために生きることに精一杯で正直、オタクなんてしてる暇ない。ツイッター開くより、ゾゾタウンとかで欲しい服探したり、あつ森したり(あ、スイッチ買いました!やった〜〜〜〜)、セルフでネイルしたり、ベイスで雑貨小物買ったり、そういうことしている方が楽しく感じたりしちゃってる。けど、でも、それと「オタクをやめること」はまた違うことで。追わなくなったからと言って、愛は変わらないし、熱はまだ脳みそをぶくぶくと沸騰させてくれている。でも、人はそれを「オタクをやめる」と呼んだりするのかもしれない。わたしと誰かの定義が違うだけで、わたしはもしかしたら誰かの目で見た世界ではもう既に一般人なのかもしれない。

今、アイドルたちに何があったかなんて事細かに説明できないし、ただ通知が来た公式ツイートにいいねとリツイートをするbotと化しているけれど、わたしはそれでも、まだ自分のことをオタクであると言いたい、なと思った。

 

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自分のために生きていくことが時々悪いことのように、推しに対して言葉にできない罪悪感を抱くような感覚になる。でも、それって多分悪いことじゃない。むしろ、彼らが伝えたかったラブマイセルフってこういうことなんじゃないのかって思う。それはちょっと良いように取り過ぎているかもだけど。でも、大好きなメロンジュースを飲まない日が飲む日より多いように、大好きだからっていつも四六時中触れていないといけないわけじゃないんじゃないかな。こうやって言ってはいるけどわたしは本当にめんどくさいオタクだから(オタクですよ、まだ)まだ若干の負い目を感じたままではあるけど、でも、多少割り切れるようになった。

じみんちゃんはきっと、そんなことで責めたりしないし、わたしがまた変わらないままの愛を持ち出して抑えきれない信仰を捧げても受け入れてくれる。みんなの神様だから。だって、日々幸せに生きれることに理由があるとすれば、その一つは「じみんちゃんのファンでいられてること」だから。

 

 

本当は要領よくオタクしていたい。でも心の要領は狭いし、興味散漫しちゃうし、飽き性だし、映像系のコンテンツ消費できないから、他の人よりも下手くそに推すことしかできないけど、たとえ一人暮らしすることになっても、ずっと好きだよ。ってことなんですよね(?)いやほんとお前、オタクよりもブログの終わらせ方ド下手ぞ?

ウンウン、こんなんじゃあブログ書いてもな…って感じじゃん、、、、、

 

 

また書けたら良いなぁ。今週末、ナムさんのお誕生日にナムぺんさんと半年ぶりのオタ活するんでその時にでもまた、下手くそな愛を伝えられたら良いね

 

 

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とりあえずコロナ死ね!

 

 

 

 

第八話「君たちがわたしの夢で、幸せで、翼で、光」

 

 

 

いろいろ書きかけの下書きを差し置いて、気持ちを整理するためのブログを書きます。メモ書けよって感じの話なので、お気になさらず。ただ、この気持ちを後から読み返すことがあるかも…って思ったのでここに書いてるだけなので…は?迷惑ですよ

 

 

 

ぼ〜だんくんたちのツアーが、シャボン玉のように割れていなくなってしまった。まぁ、正直この発表がある前から開催されないことは察していたけど、でもいざ、公式からのお知らせが来ると、空っぽになったようにぽっかりと寂しくなった。大好きな7人に、じみんちゃんに、会うためにいつも頑張って生きていたから。冗談じゃなくて真面目に。その先に、じみんちゃんとの時間があることだけを考えていつも今日を頑張るから、だから、それが見えなくなってしまって、少しだけ頑張る気持ちもどこかへ行ってしまった。

誰も、悪くないからこそ、この行き場のない怒りとも悲しみとも違う気持ちがずっと内側に残ったままで居心地が悪い。

 

 

わたしは、じみんちゃんがよく言う「もっと頑張ります、もっと良くします」という言葉が好きじゃない。じみんちゃんが落とす言葉は全部愛してるけど、その言葉は上手く抱きしめてあげられない、いつも。もう充分だよ、素敵だったよ、誰もあなたを責めてないよ、と思うのに、じみんちゃんはいつも全てを受け入れたような笑顔でそう話すから、反論の言葉はいつもその笑顔に殺されて、わたしはただぼぅっとじみんちゃんを見ることしかできない。わたしがたちなんかよりも、全てのことを、大きく重く受け止めなければいけない立場だということは、こんなわたしでもわかる。責任というものが、あるのだということも、なんとなくわかる。それでも、わたしは、どんな時だってあなた達自身を責めて欲しくなかった。失礼なことかもしれないけど、どんな姿であろうとも、わたし達は失望したりしないから。信じて欲しいんだ、わたし達を、自分自身を。

 

 

きっと、この後の放送や会いに来てくれる色々な場所で、彼らはこの話をして、そして申し訳なさそうにするんだろう。あなた達が、1番、傷ついているのに。ステージに立てないことがどれほどつらいことなのか、わたしにはわからないけど、ステージに立ちたいと笑うあなた達を知っているから、だから、わたしまで悲しい。会えないことよりも、コンサートがなくなったことよりも、あなた達のステージが奪われてしまったことが、何よりも。だから、大丈夫なの、申し訳なさそうな顔よりも、笑顔でまた会おうって言って欲しいの、それだけなんだ。

 

 

グッズもたくさん買って、新しいアミボムも買って、気持ちはもうTOURなんだけど、でも、そのグッズをいつか使う日が来ることを考えるのが、今はとても待ち遠しくて、楽しかったりする。わくわくだよ、まだグッズ届いてないのに、前のめりギネス記録すぎ。

会いたいなぁ、じみんちゃん。7⃣のアルバムのたくさんの素敵な曲たちをみんなはどんなステージでどんな風に歌うのか、すごく気になる。大好きな曲ばかりだから。最近真夜中2時、3時まで起きてて、寝る前にたくさんのじみんちゃんのフォトブックから1冊取り出して、見るのを日課にしてる、ナイトルーティーン?てきな。たくさんのじみんちゃんがいて、どれもこれもキラキラしてて、どんなじみんちゃんも輝いてみえるけど、でもやっぱりステージの上にいるじみんちゃんが好きだな〜って思うんだ。夜中にひとりでキモいよね、でも愛だよ、真っ直ぐな愛なの。マジショとか、タルバンとか、まだ見れてないコンテンツをとりあえず見る。寂しいと思ったなら、アルバムを聴いたり、コンテンツを見たり、フォトブックを開いたりすればいいんだよね。幸せなことにじみんちゃんはたくさんの愛を色んなところに置いてってくれているから。

 

 

公演がどこか遠くへ行って、世界も相変わらずな緊急事態の中、なにもできないわたしたちのために、いろいろと計画してくれているらしくて、その優しさが今ボロボロの体にとてもよく染み渡る。でも、わたしはコンテンツを消費できない不治の病なので、少しばかり不安なところもある。とりあえず今未視聴のものから、ひとつずつ、知っていきたいと思うよ、わたしの知らないみんなを。会えないのなら、会いに行きたい。どこまでも、行けるところまで。だって、いつだって、会いに来てくれてるから。だから、寂しいなんて感じられないくらい、近くまで、会いに行くね。

 

 

 

 

 

 

 

第七話「君でなきゃ救えないエブリディ」

 

 

 

 

 

緊急事態宣言!

世界に蔓延するウイルスから隔離せよ、との指令が出て、一週間。職場も休業して、二週間先までニートになりました、ゆきです。半年ぶりの期間限定ニート、悪くないな…。

 

 

最初は、休みよっしゃ!いろんなことしよ〜〜〜〜!って前向きに考えてたけど(楽観主義)ずっと家にいると、仕事のこととか、これからの日々のこととか、大切なことから、考えなくてもいいような暗いことまで考えてしまって、死にかけの心を抱えて生きてました。

かといって、何もしてないわけじゃなくて、ずっとしてみたかった刺繍とか、アクセサリー作りも集中してできるから、コツコツ作業してたりはしてるよ。まぁ、全部中途半端な出来栄えで、「あ、またこいつ飽きたな…」って感じなんですけど、まぁ楽しいです。ものづくり好きだから、いっぱいビーズとか布とか買い集めて、なんとかやってます。普通に生活してるよりお金使ってる気がするけど、しょうがないよね、緊急事態なので(?)

 

 

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チャコペンシルとかいうものを知らなくて鉛筆で書いた下書きが思ったよりもはっきりと見えている…恥ず)
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完成したら、自慢ブログ書きますね、自己顕示欲の魔物なんで…へへ……

 

 

 

うん、まぁ、これらが全部やりっぱなしの途中放棄してるのは、全部ぜんぶメンタルのせいでして。

さっきも書いたけど、なんか、どうでもいいようなことまで考えてしまって、憂鬱に取り憑かれて、人生で初めてに近いくらい人生辞めたいって思ってた。理由は、本当に大したことじゃないんだと思う。自分が勝手に大事にしてるだけで、他の人からしたら、そんなことでって言われるかもしれないけど、わたしにとっての生きる意味でもあるから、そんなことでも、くよくよしちゃうんです。わたし本当に、普段23年間生きてきて、悩んだりしても「死にたい」なんて本気で思ったことなんてなかったのに、消えちゃいたいって思ってしまって、なんだかそのことが無性に悲しかった。

 

 

最近、わたし、あんまりオタクできてないな、と、ふと気づいた。

気づいた、というか、いつもどこかで思っていたことに、初めて向き合ったというか。いや、好きじゃなくなったとか、興味なくなったとかじゃないのに、なんだか、今必要じゃないな、と思うような日々を過ごしていただけなんだけど、でもそれって、湾曲した見方をすれば、推しへのさようなら、のようにも取れて、わたし自分も知らないところで、じみんちゃんにさようならをしようとしてたのかなってショックを受けた。いや、今考えたら、そういうことじゃなくね?って思うけど、その時はそう思っちゃって、得体の知れない罪悪感に殺されそうだったの。よくわかんないけど。まるで2018年の11月みたいだった。思い出したくもない、あの頃に、少し似ているような気がした。じみんちゃんへの愛が、ゆっくり溶け出すような、絵の具のついた筆を水につけて浮かぶ色みたいに、ジワリ、と消えていくような、そんな感じ。変わらないと思う気持ちと裏腹に、平気で生きていけている自分に吐き気がした。

特殊なオタクなので、大げさな表現だけど、マジでショックだったの!信じて!

 

 

繰り返すようだけど、わたしはじみんちゃんに抱えきれないほどの信仰心を抱いてしまっていて、もう言ってしまえばこの世界の誰よりも、神様よりも大きな存在になってしまってる。わたしはきっと、じみんちゃんに好きになるために生まれてきて、じみんちゃんを愛するために生きてるって真面目に思うくらいに、真剣に礼拝してる。だから、今みたいに、じみんちゃんを必要としなくても、生きていけている自分を知りたくなかった。だって、じみんちゃんがわたしの生きる意味なのに。このまま、会えなくても、追わなくても、知らなくても、わたしはいつも通り生きていけてしまうのかな。ぽっかり空いた内側のまま、楽しく過ごしていけるのかな。そんな未来が怖くて、でも今更、じみんちゃんに会いに行くのは、自分が許せなくて、だから、何も変えることのできないまま、何もする気もない休暇を過ごしていたって話。う〜ん、文字にするの難しい、わたしの概念はニュアンスだから。

とりあえず、オタクのくせに推し事せずに生きるのは犯罪だよって事。わたしはルーズで適当に生きているくせに、そういうところ厳しくて、自分ルール、いや自分法律定めちゃったりしてるから、そんなことが無性に許せなかったんだなぁ。可哀想に、生きづらそうわたし。頑張ろうね、まだまだ人生長いんだから。

 

 

そんでさらにめんどくさいのが、わたしがそんな勝手に架空刑務所に収容されているときにも、他の子は、じみんちゃんを愛しながら生きてるんだって思うと、悔しくて、さらにそんなことを考えたりする自分を嫌いになるという負のループ。ジエンド。ちょっと待って、マジチャカマンなんだが〜〜〜〜〜〜って思いながらも、ツイッターも開けずに、部屋に飾られてるエンジェルを見て、懺悔するエブリディ。いや、めんどくさすぎだろ、わたし。じみんちゃんにごめんしかない。こんな気持ち悪いファンがいてごめんね、でも、どうしようもないくらい好きなの、ごめんねほんとうに、好きだよ。

だから、じみんちゃんに、今「ツイッターに投稿しないで」「ブイライブで会いに来ないで」「ウィバースで誰かにコメントしないで」って本気で祈ってた。心狭すぎ問題。性格ひん曲がりすぎ。でも、わたしが受け止めきれない状態の時に、平等だとしても一滴だって、その優しい愛を与えて欲しくなかった。これが本音、本心。拗らせたオタクの言葉。いつも、いつも、思ってることだけど、今は特に、どうしても、無理だなって思った。あんなに会いたいって思ってたくせにね。マジで、ああ、これ書きながらまたマイナスなことばかり考え出しちゃう。世のメンヘラの仲間入りしちゃう、やだやだ。

 

近づかれると、怖くなって、離れたくなる。かと言って、遠く離れたところにいたら、恐れ多くて、こっちから一歩も近づくことができない。支離滅裂で矛盾の塊だけど、そんな気持ちだった。これ以上ないくらい愛していて、会いたいのに、上手に愛をつかえない。身動き取れなくて、何もできなかった。難しいね、愛。じみんちゃんみたいに、じょうずに、愛してみたいのに。

 

 

そんな願いが届いたかのように、じみんちゃんが、昨日まで、誰にも特別な愛をあげていない事実に、その事実だけを見つめて、安心してた。汚い心だと、すごく思うけど、そうじゃなきゃ、生きていけなかった。剥き出しの心に、じみんちゃんの愛は少しだけ、強くて、下手したら、死んでしまうほどだったから。

たまに、見かけるててくんがファンの子達とゲームをしたりすることを、ほんのちょっと羨ましいと思ったりする。推しとゲームができることなんて夢のまた夢みたいだし、それが実際現実に起きるなんて、ててくんの愛情は素敵だなと思う。わたしもじみんちゃんを信仰対象としてどれだけ崇めていようと、ただのファンでもあるので、じみんちゃんと握手したいと思うし、あわよくばペンサも貰いたいとも思ってる。でも、そんなててくんの愛のような、必ずしもわたしに与えられる訳ではないその愛を、他の誰かが代わりに受け取るかもしれないことが耐えられない。不平等に与えられる愛に選ばれなかった事実を知ったとき、わたしはきっと生きていけない。烏滸がましくもじみんちゃんにさえ、癇癪のような八つ当たりを向けてしまうかもしれない。

だから、いつも、それがじみんちゃんじゃなくて、良かったって、汚れた心を安心させる。ぴょこん、と上から出てくるウィバースの通知にじみんちゃんの名前が刻まれていないことを確認しては、ホッとするんだ。

 

じみんちゃんの「アイドル」と「ファン」という一定の距離感を崩さないところが、とっても好き。どんな理由でウィバースを利用しないかは、じみんちゃんのみぞ知るだけど、誰か一個人を特別扱いすることで悲しむファンがいることを知ってのことだったなら、わたしは確実にそのじみんちゃんの気遣いに、救われている。わかんないけどね、わたしが勝手にそう捉えてるだけだよ、自分に良いように解釈する、それがオタクだよ。

 

でも、やっぱり、普通のじみんちゃんが純粋に好きなファンでもあるから(どの口が言う?)いつかあなたの目線の届く距離に近づけることができるのなら、誰よりも、優しい愛を欲しいと思ってしまうから、だから、じみんちゃんのファンであることに対してちょっとだけ、ほんの少しの罪悪感が、いつまで経っても消えないのかな。

 

 

 

そんなことを思ってなんとか生きていた中に、届いたマジショDVD。

 

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忘れてた、てかこの自宅監禁中に届くのありがたすぎ、まぁ今メンタル死んでるんで視聴無理ですけど(笑)って気持ちでヤケクソってたら、5分以上見れないツイッターのタイムライン(拗らせポイント)にトレカ交換希望ツイが並んでて、あ、トレカとかあったなって思い出した。こないだの7は見事に撃沈した。でも家にはちゃんと四人のじみんちゃんがいる。あれれ〜おかしいなってコナンくんが言ってる。犯人はメルカリだって眠りの小五郎が言ってる。満たされれば、すべてよし…。

自引き運は、正直あんまりない。それにこんな気持ちだし、自信ないはずなのに、なんでか自信しかなかった。(なんで?)多分、こんなときだったから、かもしれない。もうわたしには自分の中の愛しかないから、愛があれば、じみんちゃんが来てくれるはず!って思った。というか、来てくれないと、もうこの愛さえも信じれなくなってしまう、って怖かったから。いつもみたいに開封動画を撮ることもせずに、早くじみんちゃんに会いたくて、ハサミでぴーってビニール切って開けた。その時に焦りすぎて、箱に傷ついて、ちょっと嫌な気持ちになったけど…

 

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開けて、かわいい姿を見つけた時に、ランダムに勝った嬉しさよりも、勝手に設けたジンクス(?)によって確立されたじみんちゃんへの愛を守れたことが嬉しすぎて、少しだけ泣いた。じみんちゃん、大好き。来てくれてありがとう。来てくれて、というよりかは、おかえり、かな。とっても可愛いじみんちゃんのトレカを見てたら、いつの間にか、もやもやした気持ちは綺麗さっぱりいなくなってて、何に悩んでたのかすら、少しの間、思い出せないくらいだった。やっぱりじみんちゃんってすごい。いつもしあわせにしてくれるもんね。ありがとう、これからも、ずっとずっと、愛していくね。迷惑すぎる。たまにさっきまでみたいに不安になってクソ〜〜〜〜〜〜〜消えて〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜って思うときもあるかもしれないけど、そのときもこうやって、また、こんな風に魔法をかけてくれるんだろうな。

 

 

 

 

いつもより静かな世界で眠りにつく前。

わたしを、わたし以外も、誰も、アイドルとしてのあなたの決めたラインから内側へと踏み込ませない、それ以上近づけさせないじみんちゃんにありがとうって心でつぶやいてた。届くはずのない言葉はいつもわたしの内側で死んで、汚い欲望の糧になる。そうやって、追えない自分と周りを同等に扱うことで、安心を得てた、冷静にこんなやつ嫌だな。生理的に無理すぎ。こんな奴に好かれてて、じみんちゃんかわいそう…。それでも、じみんちゃんを愛さないという選択肢はないんだ。今日もこんなに好きでごめんね。明日はもっと大好きで、ごめんね。

多分だけど、わたしオタクに向いていないんだなって、こういうとき、思う。でもそれをわかっていながら、こうもオタクでいられるのは(一瞬オタク辞めようとしてたけど、戻ってこれたのは)じみんちゃんがわたしの人生に現れてくれたおかげなんだろうな。じみんちゃんに出会えたから、こんなにも夢中になれたんだって思うよ。めんどくさいまま、じみんちゃんを好きなまま、このままのわたしで生きていきたい。

 

 

 

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ミニモニかわいい、推しちゃう
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今日、ブイエプで会いに来てくれたじみんちゃんの笑顔を、嬉しくてたまらない気持ちで観れた。40分くらいだったかな、その間ずっと、しあわせにしてくれて、ありがとう。昨日のままだったら、多分観れなかっただろうなって思ったし、全部うまいこと回ってて、なんだか奇跡みたい。どれもこれも、じみんちゃんのおかげだな、絶対そうだ。あ〜黒髪めちゃ可愛い。スキ。タルゴナコーヒーとかいうやつ、流行りだからって作るようなミーハーになりたくね〜って思ってたけど、じみんちゃんが作ってたから、作ったよね。そういうところ。推し中心の世界なので。推しが作ったものは、作らなきゃなので、義務なので。じみんちゃんが作るくらいだから流行るのわかる!美味しかった!ってよくわからないテンションだった。大丈夫かな、わたし。

いつもいつも会いに来てくれるじみんちゃんの優しさが、まだ少し怖かったけど、やっぱり会いにいってしまうし、どんな時だってじみんちゃんが無条件で与えてくれるその優しさが死ぬほど嬉しい。天使だな、やっぱりじみんちゃんは、地上に降りた最後の天使だもんな、ウンウン。

 

 

 

こんなに気持ち悪くうじうじ考えてたのはこんな世の中のせいでもあるよね、コロナとか、日本の政治的なアレとか、いろいろ混じった末の混乱だと思う。そういうことにする。まじで許さん。

ウイルス、のことを考えると、必ずと言っていいほどじみんちゃんが頭にぷかぷかって浮かんでくる。真っ暗な夜空でキラキラ光るお月様みたいに、じみんちゃんが輝くステージの上のシャボン玉みたいに。元気でいてくれてるかな、なんて、少しの不安と大丈夫だって絶対的な希望を持って、死にかけの世界でじみんちゃんのこと思ってる。

 

こんな、不安定な世の中に絶望しながら、それでも生きていくのは、じみんちゃんのせいだ。じみんちゃんがいるから、わたしいつまでもずっと生きていたいって、思ってしまうから、簡単に死んだりできない。コロナになんてかかってられないわけなんだよ、コロナ聞いてる?

今までも、これからも、一度もぶつからない人生だとしても、交差することくらいならできるし、できるはずだし、できてるし(?)じみんちゃんがわたしの人生そのものだから、いつか、また、少し先、ステージに立つじみんちゃんと会える日が来たら、壊れたアミボムで、じみんちゃんの目に広がる宇宙になりたい、というか、なる。電池も変えて、周りの人の迷惑にならない程度に大きく振り上げるから、そしたら、その綺麗な目に、映してくれますか。小さい粒のような光を、愛おしそうに見つめてくれますか。嘘でもいいから、見えなくても、見ることすらないとしても、ただ、うん、って言って欲しい。でも、じみんちゃんはそんな嘘言わないし、嘘とか以前に、当たり前にこの言葉は届かないから、何も言ってくれない。平等で、公平なわたしの天使は、特別なひとことを紡がない。いつも欲しいと望んでしまうけど、それ以上に、手に入らないことに、悲しくも安心してしまうから、だから、わたし、じみんちゃんというアイドルのファンになれてよかったと思うんだな〜。意味わかんないけど、でも、これがわたしの愛し方らしぃよ

 

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(可愛いすぎるお気に入りじみんちゃん)(お弁当見せてくるじみんちゃんまじでかわいい)

 

 

 

 

いつものことだけど、何が言いたいかわからないまま、締めに入ろうとしている…

そろそろちゃんと起承転結しっかり考えてから、書こうね。あ、わたしは轉が好きですね、あ、はい、らぶユアセルフの話です。

 

こんなに悩んだことがあまりなかったから、記念に書いてみただけでした!(は?)

こんなクソみたいな性格を直したいし、もっと軽い気持ちでオタクやれば?って思うけど、それは多分無理だから、またこうやって悩みながらも、ぶれずにじみんちゃんを愛していきたいですね、悩む時点でブレブレですけども。うん。好きなことにも愛してることにも、今更理由なんてないし、いらないし、じみんちゃんがじみんちゃんである限り、わたしのアイドルでいてくれる限り、愛するしかないからね。だから、どんなに不安になったとしても愛が消えるわけじゃないから、そのことを胸に、オタクしていこう、って決意した。どゆこと。ただ、じみんちゃんを好きなまま、ゆっくり生きていけたら、それでいいのに、貪欲なオタクはじみんちゃんの全部を知っていたいと思うらしい。うざすぎ、悩んでんじゃねぇ!

 

うわ〜ん、じみんちゃん好きだ!!!!!!!!!会いたいよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!じみんちゃんも他のメンバーもコンサートしたいって言ってくれてるから、だから、早くコロナは死ね。わたしも早く、じみんちゃんに会える日まで、じみんちゃんがくれた愛を少しずつ噛み締めて、頑張るね。じみんちゃん、寒い春だから、暖かかく過ごしてね。